星矢関連二次創作サイト「アクマイザー」のMEMO&御礼用ブログ
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作中などでキャラの所持品や使った小道具が、他所様でも出てきたりすると「お揃いだ!イメージ一緒だ!」と嬉しくなります(^▽^)
ヘレンドのモカカップ、絶対サガに似合いますよねN様!拙宅では同じモカカップでも、黒サガ用が白磁金彩で白サガ用がフラワーです。

カノンやタナトスのためにサガが選んだ食器や服…などという前提で妄想しだすと止まりません。あ、うそです。服は駄目だ。拙宅サガにそんな服飾センスない。

服選びセンスのないことを多少自覚しているサガが、アイオロスへの服プレゼントはTシャツでいいから助かるなんて思ってると、アイオロスから「サガ、俺もTシャツなら何でもいいってわけじゃないんだよ」と突っ込まれるよ!サガからプレゼントされた『INY』ロゴ入りのTシャツ片手に!

今日もぱちぱち有難う御座います!へ、返信は次回こそ!

アスプロスの失墜の理由について、やっぱり今ひとつピンと来ていない管理人です(>ω<;)。
支え合って生きていた彼らが、光と影を分担したというだけで、片方だけあんなに極端に壊れたり、大切な相手を模造品扱いするようになるものなのでしょうか。

LCの時代なら、差別や貧困はそう珍しいことでもないですよね。
子供だけで生きていくために、光だの影だのの選択肢すらなく、最初から影の道をゆくしかないストリートチルドレンなども多いでしょう。例えば追いはぎをしていたマニゴルドのように。
双子の状況は現代の感覚で考えると劣悪ですが、時代背景を考えれば良くある粗悪環境の1つです。
そして、聖域も形は異なれ光と影のシステムで出来ています。
聖衣が1つしかない以上、正規(光)は必ず1名であり、それ以外は必ず(影)を引き受けるしかない。聖闘士を目指す時点で、それは誰しも覚悟の上の基本です。アイザックやカノンは海将軍の立場を得ましたが、そうでなければ、どれだけ実力があっても雑兵でした。それが聖域システム。
でも、影の立場だから光より下かというとそんなことはなく、矛盾するようですが、影となった大勢も縁の下の力という意味での光でもあるのです。

聖闘士という光を支えるために大勢の影がいる。何人もの訓練生たちから勝ち取って聖衣を手に入れた者は、大勢の想いは引き受けるけれども、選別から漏れて支える立場になった者は、別に光や人生を聖闘士に押し付けたつもりもないでしょう。まあ中には「聖闘士になれなかった自分の分もお前が頑張れ」な人もいたでしょうが、それは相手の糧とはなっても、壊れるほどの負の押し付けとなるものではないと思います。

双子も役割分担は覚悟の上で受け入れて暮らしていた様子。少なくともデフテロスの方は自覚的に影の立場を選んでいて、しかしそれは自分というものを持たずにお兄さんのコピーを目指していたということと同義ではありません。影≠模造品。

弟は人生を兄へ丸投げしていたという設定なのかもしれませんが、逆に光の側の黄金聖闘士の視点で見れば、彼らは聖衣をまとう時点で大勢の光を背負っているわけで、アスプロスの目指す教皇ともなれば、もっと大勢の光の看板をしょっているわけです。
そこへ弟一人分増えたからといって、それがことさら増長したり勘違いしたりする原因だと言われると、それだけで?という気がしてしまうのです。

アスプロスが実は凶星であり、そのことに絶望しての変節というパターンの場合、弟が乗り越えているのに、「影も光もない二人」であるはずのアス方だけが乗り越えられないというのも考えにくい。アスプロスだけ小人物だというのも悲しいですしね…。まあその場合はそれでしょうがないですが。ヘタレ兄弟で存分に萌えさせて頂きます。

そもそも兄が無くしたかったのは弟に対する差別と存在抹消の扱いであって、二番目という立場そのものじゃないんですよね。弟のことを自分と同じ力と存在価値をもつ者と認めてはいても、彼が弟に自分と同じ光=正規の双子座を譲る気があるかとなると、現在の言動からしてもそれは多分無いでしょう。
それでも、光であろうが影であろうが、兄弟両者が自分自身を持って自立していさえすれば何の問題もない話なんですが、じゃあデフテロスが自分を持っていなかったのかというと、「兄を頼ろうと思ったことは断じて無かった」と心中で零しているとおり、自分の足で立っていた様子に見えました。それが、アスミタの言葉ひとつで簡単に揺らいだことで、あれ?自分というものがない子なの?と、そこで判明した感じです。

教皇へ叛意を見せたアスプロスはもう処刑されるしかないので、それよりはデフテロスが自分の手でとどめを刺すのが愛情でもあるかとは思いますが、兄からの脱却を図るのに、相手の存在を消してしまう(殺す)のでは、結局片方(光)がもう片方(影)を消している過去の状態と同じことだとも思うのです。
兄を殺して光も影もなくなったけれども、そこに残ったのは鬼だけで「人」は残らなかった。それはとても悲しいこと。さらにデフテロスがこの事件によって、ひたすら力だの自分自身の輪郭強化だのを目指し始めたら、邁進しつづけたアスプロス2号の出来上がりです。

超個人的な価値観でいえば、私は「受け入れるのも強さだ。俺は影を引き受けたのだ」と言っていたデフテロスが好きです。なぜなら、それは少なくとも他者への愛情から発せられた言葉であり、生き方だと思いますので…甘いとは思うのですが(^^;)

前聖戦においては、双子が人のまま二人で歩いていく道は結局なかったのだなと思うと、ちょっぴりしょんぼりです。片方が死んでいる以上、このあと二人共にある手段となると、もうアニメのようにアスプロスの精神体と合体するとかしかないですものね…。ショボーン。どの時代でも双子は幸せになって欲しいココロ。

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