サガはあれだけ強くて完璧なのにも関わらず、この人を護らねばという感情を周囲に沸かせる男であるイメージです。対してアイオロスはこの人に付いていきたいと思わせる男。
何でだろうと考えてみたところ、サガは女神を排しての偽教皇であったため、当時の聖闘士たち(主に年中組)の直接の守護対象なんですよね。護られるべき女神の位置に教皇が収まってるわけです。12宮編での彼は、聖域とともに護られる側のキャラクター。そこへ青銅と女神が攻め込んでいくと。
対してアイオロスは聖闘士の鑑であり、正義を貫いた人。聖闘士としての意識を喚起させ、女神を護ろうと思わせる、そういう立場のキャラクターです。
性格的にはアイオロスは盾でありサガは剣なのですが、「オレが君を護るよ」「ならば、わたしはお前の剣となろう」…というような、バランスのとれた関係になれる二人だと思います。
上手く行かないとと両雄として対立しちゃうんですけどね(^^;)
でも対立しても、どうせお互い両想いですけどね!(根拠なし)
だから、どちらが教皇になってももう一方が補佐となれば、大変上手く行くような気がします。ただ、二人とも人の上に立つ器を持つだけに、聖域の下々の皆さんがサガ派とアイオロス派に分かれないよう手綱をとるのが面倒そう。
そうならない為に一番簡単なのは、二人の信頼の深さをいつでも周囲へと示すことではないでしょうか。
つまりアイオロスとサガは隙あればイチャイチャしていれば良いってことですよ。周囲が「もうあの二人は夫婦みたいなものだから」と諦めてワンセットで考えるくらいになれば完璧ですね!やりすぎると士気は多少落ちるかもしれませんが、聖戦後は平和だから大丈夫!
…もう少しバランスのとれた三段論法でロスサガに到りたい。
それはさておきサガが誰かにデレてるお話を読みたい&書きたい周期です。相手は誰がいいかなあ…突然ラダマンティス相手にとかでも萌えるんですけど…でもラダマンティス側は困りそうだな…
今日もぱちぱち有難う御座います。日々の癒しです。
忙しいとは言いつつも、プログラマ時代の忙しさと比べると、単に時間的なせわしなさなので全然余裕なのですが、やっぱり家に帰るとバタンキューなのでした。もう若くないから…(>ω<)
ちなみにプログラマ的忙しさとは、夜を徹して作業を続け、朝4:30になるとタイムカードを押し(徹夜だと法上自動的に翌日休みとなってしまう為)そのまま床に転がって7時頃まで仮眠し、起きたらまた出社のタイムカードを押して作業を続け、そんなことして仕上げたソフトが納入当日になって仕様変更を依頼されちゃうとか、まあよくあるそんな感じです。
昨日は人手が足りないので、予約センターの人間も鳴ってる電話を無視してフロント業務やご案内をお手伝いしました。
「何かございましたらフロントまでお申し付け下さい」
「手かざしって知ってるかね。気が綺麗になるんだよ(手かざしされる)」
「ありがとうございます」
「社長さんの分もやってあげるからイメージしなさい(続けられる)」
「恐れ入ります」
「家族の分もやってあげるからね(略)」
「お気遣いいただきまして(略)」
…(・▽・)ええと、勤務内休憩時間をありがとう!5分くらいだけど!
も~ホントにサガが泊まりに来ないかな!アイオロスと一緒に!身長188センチ用の浴衣もありますから!壁が薄いので夜にアイオロスといたすと隣の部屋から苦情が出るかもしれませんけど、こっそり声を押し殺していただければ大丈夫ですから!
サガが来たら、そのオーラで何かの有名人と間違えられて、団体客のおばちゃん達が囲んでサインを求めそうな気もするなあ。そしたら私もこっそり知らん振りして一緒に写真とって貰うんだ!
今日もサガが当日客として来てくれることだけを夢見てがんばる。
最近自分を騙す事も覚えました。
サガが避暑地としてエリシオンを選ぶのもいいなあ。エリシオンは常春のマリネラですしね。美しい泉で水浴びするサガとか似合いすぎです。前にも同じ妄想をした気がする。暑い時の定番妄想ということで。
でもってタナトスが野外でサガにアレやらコレやら色々教えるわけですよ。しっとり楽しんだら、夜は人間界へわたって花火を見たりね!
直ぐに散って、なおかつ一瞬の美しさを煌かせる花火は死の神タナトスもお気に入りです。神から見たら人間も似たようなものですよね。黄金聖闘士なんて、特に美しく命を輝かせる花火です。
塵芥とさげすみつつも、綺麗な花火ならタナトスも結構好きなんじゃないかな。
拍手有難う御座います!コメント返信は帰宅後にさせて下さいね(^^)
夏休み前の宿泊予約センターはてんてこまいです。
「何月何日に何名で、住所は何々です」
「ご予約ありがとうございます、それではお客様」
「お願いしますね。楽しみにしています(ガチャ)」
「お、お客様ー!お名前とお電話番号をー!」
そういうお客様に限って番号非通知というお約束。
その点、小宇宙通信は必ず発信者が分かりそうでいいですね。あ、でもこれも隠ぺい工作可能なのかな。
サガが偽教皇をしていた間、教皇として発した小宇宙通信は、相手に教皇であることはわかっても、サガであることは分からなかった感じがしますので。
全然関係ないのですが、弟と仲良くしたい白サガが、黒サガの間違った勧めによりアダルトDVDなんかを弟にプレゼントすべく、頑張ってセレクトしようとするというピンポイントすぎる妄想をしてました。
とりあえず白サガはAVのわけわからないタイトルをまず理解できなくて、仕方が無いのでパッケージで女の子が可愛いのにしようと思うんですけど、サガは美脚派なので胸派のカノンと微妙に趣味が合わないという、どうでもいい経緯を経て、結局BBC配信かなんかの世界の自然(魚の産卵シーン有り)みたいなDVDをプレゼントというオチ。
昔のカノンだったら速攻でゴミ箱行きなプレゼントですけれど、とりあえずアテナにDVDプレイヤーを借りて、サガと一緒に並んでその自然DVDを見るわけですよ。サガの方が海中の映像の美しさに夢中になってたりね!
そんな兄を見たカノンが「海界には、もっと綺麗な場所があるぞ。今度連れて行ってやる」と言ってやると、サガが目を輝かせるという。カノンと仲良くしたいというサガの目的は無事達成されました。
…無理矢理感MAX。仕事が忙しいよー(>△<。)
蒸し暑い日が続きますが、アイオロスとサガあたりをイチャイチャさせて、いっそう暑苦しさを味わいたいこの頃です。ああ想像するだけで幸せだけれども暑苦しい(>ω<;)
南海の孤島の砂浜で、水遊びでもさせれば多少は涼しげなのかな。
例えば、カノン&瞬+サガ&星矢で上記のシチュエーションの場合、とても爽やかでほのぼの風景になるんです。水際を元気に遊ぶ星矢と瞬。そこへカノンが加わったりして、サガもそれをにこにこ見守りながら時折波に戯れると。瞬が綺麗な貝殻をみつけてカノンに持ってきてくれたりね!カノンはそれを見て「それは海からの贈り物だ。お前は海神に気に入られたようだな」みたいに言うわけですよ。星矢はサガに水鉄砲をかけたりして、サガも久しぶりに童心に返ってやりかえしたり。心の底から和みます。
これがラダ&カノン+サガ&アイオロスだった場合どうですか。一気に暑苦しさ倍増ですよ。そこがまた良いのですが、あんまり暑苦しいと脱がせたくなります。あっ、脱がせたところを想像してみたら、もっと暑苦しくなった(>△<)今のなし!
拙宅捏造設定の1つに、カノンが小規模ながら雲を沸かせ雷・雨を出せる(海龍の能力として)というものがあるのですが、全然使いどころがなくてお蔵入りになっているのです(何の為の捏造…)。
しかし、海シーズンは海水浴の後、彼の能力をシャワー代わりにすればいいと思いました。映像的にはドラえもんの道具のラジコン雨雲のごとく!
夜のしっとりとした時間になれば、ロスサガ&ラダカノの組み合せの株が上昇です。ここでラダサガ&ロスカノもいいなと思ってしまうのが、私の節操ないところ。
同じ組み合わせでカノサガカノでもいいんですが、そうすると残りがロスラダになるというカオス。それもありかな。いや無理に順列組み合わせにする必要は無いのか。暑いと思考回路がぐだぐだです。
聖域では10歳くらいでもう一人前扱いですよね。シュラのように討伐を命じられたり、弟子を持ったり。修行中の子供たちはもっと幼いわけです。
今週のチャンピオンで、幼かったサーシャがシジフォスに聖域に連れられてきて、単なる人間の女の子から女神にならざるをえない場面で、本当は泣いていたにも関わらず「私が女神として地上を守れば皆が幸せになる・そしたら私もしあわせ」と笑顔を見せる場面があります。
そして、それを見たシジフォスは「巨大な神としての運命からこの少女を守りたい」「聖闘士とは違う気持ちとして」という想いを持つのです。
射手座(聖闘士)として女神を守護するのとは別に、シジフォス(人間)としてサーシャを守りたいという感情が沸いた場面です。
これが「聖闘士とは違う気持ち」「忠誠以上の気持ち」ってことなのだと思いますが、もしそれが父性的慈愛であると仮定すると、本来それは教皇や教皇候補的立場のものであれば、聖域全ての幼い子供達に等しく向けられねばならない感情でもあると思います。
サーシャと同様に幼い子供達が、地上を守る為に日々死と隣り合わせの修行を重ねているのですから。
中には自分の意思ではなく連れてこられた子も多いでしょう。むしろそういう子供達にこそ愛が注がれるよう、教皇は聖域全員の父であらねばならない。目が行き届かぬ子供達には、年長者や師匠が家族同様のものを与える、そういう関係が前提にあるから聖域の闘士たちは「魂の兄弟」のような精神の結びつきを持っているのだと思うのです。
女神の背負う物がもっとも重いとはいえ、他人の幸福のために闘う事を選び、他人のために笑顔でいる聖域の子供は、恐らくサーシャだけではない。例えば彼が弟子にしたレグルスだって、シジフォスが拾ってきて戦う運命の中に置いた子です。レグルスはまだ天分の才がありますが、戦う力の劣る一般の子供たちのほうは更に大変です。戦いに到る前に聖域の修行で死ぬ可能性も高いのですから。
なのに、そんなあまたの子供達を差し置いて、サーシャにだけ『他人の幸せを自分の幸せというから特別な感情が沸いた』というのでは、結局「女神となる子だから」という理由にたどり着いてしまいます。
でも、シジフォスの感情は「女神だから」ではなく「サーシャだから」という方向性だと思うんですよね。
今までのエピソードを読んだ限りでは、レグルスとサーシャに対するシジフォスの「家族愛」は、あきらかに別種のものです。レグルスに対しては完全なる家族愛(&師弟愛)と言って良いと思います。
そう考えると、シジフォスの思いは父性的・慈愛的なものではあるとはいえ、恋愛的な感情に発展する可能性を秘めた「忠誠以上の感情」なのではないかなあと思うのでした。
…というか、まだその方が納得がいくといいますか…(こそ)
将来の恋愛的感情が混じっていたのならしょうがない。それは理屈ではどうにもならない感情ですから。でも、家族愛・父性愛しかないというのなら、夢界において、家族から引き離したサーシャのことでだけ自らを攻め続けた彼の場面を読み返すたびに「じゃあ聖域に連れてこられた他の幼い子供達やそのシステムについては何も考えてこなかったの?何故サーシャの時だけが特別扱いなの?自分が関わったから?あれだけの男が、自分とサーシャの関係のことしか考えていないのか?」と思ってしまうのです。でもシジフォスはもっと大きく周囲を見ている人だと思うんです。女神のことも聖域のことも守る盾、それがシジフォスという人間であってほしいのです。
うう、読み返すとかなり勝手な理想を押し付けた発言になってますね…(汗)
ちなみに拙宅サガですと、同じ聖域の子供の状況を見ても、白サガは「子供達は出来る限り愛情をうけるべき」的理論で、黒サガは「子供は戦力であり、家族的愛情で集団の結束を固めるのはカルトでも常道」という理屈で子供を大切に扱います。内面が正反対でもやってる事は同じになるという良い見本です。
というような、中ニ病的世界観と腐女子妄想でお話をいつも考えているんですが、つい自分の欲望に負けて腐女子割合のほうを高めてしまいます。
MY勝手基準ですと、平凡な日常の人間を書きたいと思い始めたら高ニ病。中高成分がこなれて熟成したのが大学生レベル。
せめて高ニレベルになりたい。
人様の土台のしっかりしたお話を拝読すると、とみにそう思います。
今日もパチパチありがとうございます。日々の活力源です!